こんにちは。シナプスたけだです。
適応障害を抱えながら、労働、節約、投資でFIREを目指しています。
昨晩の寝る前に急に激しい腹痛があり、しばらく動けなくなってしまいました。
頭痛もあって、少し熱っぽい感じもあります。
ただの食あたりかもしれませんが、体調が悪いと気分の落ち込みも深くなります。
今日が三連休の最終日ですが、明日普通に仕事ができる自信がありません・・・。
適応障害になってから、身体の病気も増えたように感じます。
初夏にはノロウィルスやコロナにも感染、発症しました。
以前は病気なんて滅多にしなかったのですが、こうも病気が続くと免疫が落ちている気がしてなりません・・・。
また、体調不良の他にも職場で悪いことがありました。
先々週の出来事ですが、上司と決定的に対立してしまい、仕事を干されてしまいました。
その後、上司からは職場で徹底的に無視され続けています。
もともと今の上司は大嫌いなので、無視されていること自体はまったくOKなのですが、仕事を干されたことはいささかショックです。
いつまでこの状態が続くのかわかりませんが、仕事のことを考えるだけで上司への怒りがフツフツと湧いてきて平常心を保てません。
こんな状態だと薬で抑えている適応障害の状態も一層悪くなりそうです。
これはいよいよ休職しないとダメかもしれません・・・。
おそらく、人間関係さえよければ、私は仕事をすること自体は嫌いではないと思います。
ですが、嫌な奴、性格の悪い人間、性格の合わない人というのはどこにでもいるもので、仕事をしている限りはそういう輩との関係を完全に断ち切ることはできません。
どんなにいい気分でもそういう人間の一言で台無しになりますし、感情が揺さぶられます。
給料をもらって仕事をしている以上、やりたくない事も我慢することは承知しているつもりですが、意図的に私の邪魔をする人間の言いなりになることまでは、どうしても飲み込めません。
嫌な人と関わるたびに、後ろ暗い感情が心に湧いてきて、私の性格までねじ曲がって嫌な人に変貌しているような気がします。
「深淵をのぞく時、深淵もまたお前を見返しているのだ」とか「ミイラ取りがミイラになる」とは、言い得て妙だと思います。
FIRE推進派の書籍や意見には、FIREの意義について『好きなことをして生きるため』などのポジティブな意義がよく紹介されています。
ただ、私はこんな理由でFIREをするのは何となく違和感を覚えます。
好きなことで稼ぎたいなら、悠長に資産形成してからなどと言わず、さっさとやりたいことで生計を立てることに集中したり、転職する方がよほど建設的だと思います。
労働者がFIREを目指す主な理由って「仕事から解放されたい」とか「嫌なことで死なない」などの方が、大半の人の本音に近いのではないでしょうか。
私にとって本質的に重要なことは『嫌な人のために自分の人生を捧げない』ということに尽きます。
どんな仕事をしても人間関係はついて回りますし、私が心の平穏を獲得するには仕事を辞めて自由を得るしかないと思っています。
中島みゆきの『宙船』の歌詞にも共感する一節がありますが、まさにこれです。
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
中島みゆき作詞『宙船』からの一節
今の上司は私を悪意のある言葉で攻撃しますし、あからさまな悪意を向けられて流せるほど私も人間ができていないので、どうしても対立してしまいます。
こんな人がいる職場、こんな人を上司に据える会社、どちらも信用できません。
仕事を干されたことはショックですが、もう思い残すことなんてないので、せいぜい私がFIREするための踏み台として利用させてもらいます。
やる気のない中高年って、こうやって出来上がるんでしょうね・・・。
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